退院後の生活【軽いトレーニング開始】①

315日から照射範囲の絞込み、327日終了で、この間、16グレイを5ミリ範囲で照射。
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、待ち望んだ退院。でもいざ退院となるとちょっと寂しい気もした。お気に入りのかわいい看護師さん2人位いたので、だがやはり嬉しい。
友人達からおめでとうメールが続々届いて感謝、感謝。
しばらくは自宅で静養。会社に行かなくて良いのは素直に嬉しい。病人の特権だ。
放射線の副作用が抜けるまで23週間かかるということで、自宅で静養しながら読書とゲーム三昧。ゲームは「信長の野望」。とにかく、ゲームはこの「信長の野望」」だけは新作が出るたび欠かさずやってしまう。
「信長の野望」が丁度2週間で終わったので、そろそろダイエットもかねて筋トレ復活の準備を進めようと、自宅周りのウォーキングを開始。開始前に恐る恐る体重を量ったら88.8キロ、ってまあ89キロですな。幸いというか不幸というか、最低2年間は車の運転を止められてるので、どこへ行くにも歩くか自転車だったので、軽い有酸素運動代わりになった。
発病で倒れる前が72キロ~73キロくらいだったので、16キロ程度太った。普通入院したら痩せると思うのだが。やはり醜いハゲ豚になってしまった。
しばらく、ウォーキングを半月くらい続けてたが、未だステロイド剤を飲んでたので、副作用で食欲が収まらず、結局、ほとんど体重に変化なし。でも運動に多少慣れたのが大きい。この頃はちょっと疲れただけで体調がおかしくなることも多かった。
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月には会社に行こうかと思っていたが、ゴールデンウィークもあって中途半端である。ということで、退院後の外来で、主治医が「ガストンさんの都合の良いように、いかようにも診断書は書きますよ。何せ大変な病気なんですから周囲に、それを理解させることが何より重要ですから」というので、「じゃあ、5月一杯まで休養が必要と書いてくれ」ということで、当初の予定より1ヶ月長く休むことに。結局7月半ばまで髪の毛が生えてこなかったので、67月まで休めば良かったと、都合のいい後悔もした。
で、本当は倒れたまさにその当日、入会するはずだった「ゴールド・ジム」に半年遅れの入会手続きを。
ただ、この頃は、薬(デパケン)を飲んでいても、結構、眩暈がひどい時があったので、最初から、以前のような筋トレは体への負担が大きいと思い、最初は軽めの有酸素運動を毎日1時間(有酸素は嫌いだったが、この時はまたトレーニングができる喜びで一杯だった)。
で、ステロイドも止めたので、食欲も収まって、5月下旬にはようやく80キロに。

 

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